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カトリック新発田教会

建築からみたカトリック新発田教会

設計・デザイン・25年大賞受賞・建築の形式など

   ノエミ・ペルネッサン夫人 アントニン・レーモンド氏 (1964年撮影)    

 (写真提供:(株)レーモンド設計事務所様)

【設計者アントニン・レーモンド氏略歴】(詳しくは、「レーモンド略歴」をご覧ください)
・1888(明治21)年 ボヘミヤ地方(現チェコ)に生まれる。
・1910(明治43)年 プラーク工科大学を卒業後、アメリカに渡る。
・1914(大正3)年 絵を描くためイタリアを旅行する。その帰路ノエミ・ペルネッサンに出会い、結婚。
            以来2人で建築設計の仕事を続ける。
・1916(大正5)年 フランク・ロイド・ライトのもとで働く。 
・1919(大正8)年 帝国ホテル建築のため、ライトとともに来日。戦中に一時離日するが、戦後再来日し晩年まで日本に常住する。
・1923(大正12)年 レーモンド設計事務所を設立。
・1964(昭和39)年 勳三等中綬賞を受賞する。
1965(昭和40)年 カトリック新発田教会設計。66年献堂式。
・1974(昭和49)年 レーモンド氏アメリカに帰国。
・1976(昭和51)年 10月25日、米国ニューホープで死去。
 (工事中のすべての指示などは英語でおこなわれた。レーモンド氏は日本語を知っていたそうだが、私達の前では日本語を話さなかった。)

「第5回JIA25年賞大賞」


表彰状と記念のプレート
受賞理由  「優れた設計と施工そして長年、立派に維持してきた信徒の皆さんの努力に対して25年賞を贈る」
        (全国に建っている25年以上を経過した建物を、5年ごとに日本建築家協会が選んで表彰する賞)
       
        「25年以上にわたって、『長く地域の環境に貢献し、風雪に耐え美しく維持され、社会に対して建築の意義を
        語りかけてきた建築物』を表彰し、あわせて『その建築物を美しく育て上げることに寄与した人々を顕彰することにより、
        多様化する価値基準の中で、建築が果たす役割をあらためて確認するとともに、次世代につながる建築物のあり方を
        提示するすることを目的とします。』 参考:第5回JIA25年賞大賞-審査委員の講評

            

【一般建築部門】
■ 作品名 : カトリック新発田教会(1965年)
   設計者 : アントニン・レーモンド
   申請者 : JIA関東甲信越支部
   建築主 : カトリック新潟教区 佐藤敬一
   施工者 : 新発田建設株式会社

● 受賞講演会 2005(平成17)年7月24日(日)
             (於)カトリック新発田教会および新発田聖母幼稚園
   (a)  藤森 照信氏(東大教授・建築史学)による講演会。 180名の専門家が聴講。
   (b)  北澤 興一氏(レーモンド氏の最後の直弟子)によるスライド上映会。 

● 新潟日報  この受賞の記事も含めて、2004(平成16)年に4回、2005(平成17)年に1回、計5回、新発田教会の記事が掲載される。


 ● 第二ヴァチカン公会議の典礼刷新における、いわゆる「対面ミサ」での日本における最初の設計と聞いている。 
    祭壇から信徒席を見たとき、対面のため司祭と信徒は一体なのだと実感する設計になっている。

(聖堂内部-信徒席が祭壇を取り囲み、全体が祭壇を中心としてまとまりをもっている)
(第2ヴァチカン公会議以前の聖堂は、このような様式ではなかった)


(聖堂内部の祭壇から見ると、信徒席と祭壇が一つになっているという感じを強く受ける)

●建物の音響効果も抜群の出来だと聞いている。 床と壁と窓は硬い材料だが、天井は丸太と垂木と野路板で音を吸収し、音響効果の高い建築といわれている。

  


● 当教会の建築は、いわゆる日本建築の「切妻」でも「入母屋」でもなく、勿論「四ツ屋根」でもない独特の形状である。

● つまりキリスト教の聖堂としての使用目的を最優先し、かつ建物の諸機能を充足している建物である。 内部のデザインも教会の聖堂としての使命に徹して設計されている。



教会の全景・右側は司祭館 (新発田聖こども園側から撮影)

発注者・設計者・施工法・材料の調達等

● 発注者 カトリック新潟教区 教区長 伊藤庄治郎・司教

● 建築当時の主任司祭は、ヨゼフ・ノッツォン師(カトリック神言修道会・元日本管区長)

● 設計者(建築) アントニン・レーモンド氏→帝国ホテルを設計したライト氏の協力者。 南山大学、軽井沢(聖パウロ)教会など、非常に多くの建築の設計を手掛けた。

● アメリカ人でありながら日本の建築センスに通暁しておられ、戦後混乱する日本の建築設計界をまとめあげた重鎮。 彼の事務所からは、その後の日本建築界で活躍した多数の建築家が輩出している。

● 戦後の日本建築界を担った優秀な設計者達、前川國男氏はじめ多数の俊英が彼の指導を仰いだ。

● 家具等の設計者 ノエミ・ペルネッサン(夫人)

● 建築着工 1965(昭和40)年7月、竣工1966(昭和41)年8月、昭和41年11月新潟教区長・伊藤庄治カ司教によって献堂式が挙行され、レーモンド夫妻も列席された。


(聖水盤は、レーモンド氏が自ら焼成したもの)


ノエミ・ペルネッサンの作品である司祭用椅子と信者用椅子


ノエミ・ペルネッサンさんデザインの「十字架の道行」の燭台
(キリストの受難を偲ぶ「十字架の道行」の各ステーションごとの燭台)


ノエミ・レイモンド夫人デザインの和紙による窓

聖母マリア像と台座(ブラジル産、約800年前のメタセコイヤの化石)

● 構造 組積造 (レンガ+補強コンクリート造)+木造

● レーモンド氏は、素材そのものを大切にする考え方の強い人であったので、南山大学も恵比寿にあった神言会東京修道院等、彼の設計はコンクリート打放しが多い。 そしてカーテンの取付は不可。

● レーモンド氏は、日本の大工の技を高く評価→特に丸太材の組合せの技量に感心していた。→その点ではアメリカの大工の技量は問題にならないレベルとのことである。

● レンガは、荒川町坂町の中山窯業で製作。 使用されたレンガは1,300度で焼成してあるが、1,000度程度の低温で焼いたものは水を通して凍ってしまう。 (新発田教会のレンガは完成後40余年を経ても、3.6万個のうち透水したものは1枚も無い。)

●壁のレンガは、特別な積み方で耐震性が高い。 (パキスタン等の建物と違う) 

●レンガ壁は外壁であると同時に内壁であり、極めて耐震性が高い構造になっている
(レンガをタテ・ヨコに組合せ、その中に補強鉄筋とコンクリートが打ち込まれている)

● 杭は、6Mのコンクリート・パイル。

● 屋根材料は、最初亜鉛鉄板葺き28♯ペンキ塗り→20年前頃に補修が行われて銅i板葺きになった。

● 建具は、正面入口扉、窓などすべて木製建具透明ガラス入れ。

● 総工事費(聖堂)は、3万ドル(アメリカ篤志家シュルツ氏の寄付)
    (当時1ドル360円レートなので1,080万円)

● 丸太材(杉)は、村上市の山中で伐採したものを、使用部位別に伐採現場で選り抜いて運んだ。

● フロアー・ヒーティングの設備があるのだが、コスト面から現在は使用していない。

● 見学希望者、全国の建築設計者或いはレーモンドの研究者の来訪が、今でもあとを絶たない。 新潟大学の学生達や全国の建築を学ぶ学生→職能短大の学生の卒業製作の素材にもなっている。

● カトリック新発田教会には、鉄製のボルトが多用されているので、長期的に腐食が心配である。(法隆寺の五重塔には主要構造部に鉄材が使用されていない)

     

   「キリストの体」である聖体の安置櫃      洗礼室の入口ドアとそのデザイン    

〔 説明文および資料提供 工博・渡辺 幸ニ郎氏 〕 

晩年のA.レーモンド氏の最高傑作
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